風花猫の雑学ブログ🐾

ちび学問と、お茶飲み話です。📚️🍵

「親子」に関する、一考察。🤔📰

今日もお疲れ様です、風花猫です。👨‍👩‍👧‍👦

 


季節が少しずつ秋に移り変わっておりますが、体調には、お気を付けて…。🍂✨

 

前回の記事で出題致しました「ある・ないクイズ」の答えは『あるの方には、都道府県の名称が含まれている』でした。🗺️

 


今回は、たまたま読んだ「新聞の人生相談欄」に関するお話です。

(相談内容を一部抜粋しております…💦)

 

あくまで一個人の拙い見解で、申し訳ないです…。

 


一つ目の相談は、50代主婦の方から。

 


この方には、2人のお子さん(20代前半の娘さん・フリーター、高校3年生の息子さん)がいらっしゃるそうで。

 


そのどちらとも、信頼関係を築けない、と。

 


相談者さんは、お子さんが苦手だったそうで、接し方が分からず。

ご主人の希望で、2人のお子さんを授かったそうなのです。

 


しかし、娘さんは現在、専門学校を中退後、フリーターへ。その後、音信不通に…。

 


息子さんとも、進路に関するお話を進める事が出来ないらしく。

 


ここまでが、一つ目の相談です。

 


二つ目は、20代の女子大生さんから。

 


ご両親に対し、自分の意見(主張)を述べた所「わがままだ」と。

 


なんでも、相談者さんは、ご両親の「直してほしい所」を一生懸命伝えたらしく。

 


すると、上記の言葉や「社会に出た事もないのに」といった言葉を言われてしまったそうで…。

 


「私の主張は、わがままなのでしょうか?」…相談は、この言葉で締め括られていました。

 


二つの人生相談を読んだ後、私は思わず、相談内容の「ある部分」を、自分に置き換えて考えていました。

 


『母親』と『娘』。『父親』と『娘』。その関係間で生じる、様々な葛藤に対し、フォーカスしたのです。

 


私と母の間には、どんな葛藤があるのだろうか。

…考えてみると、確かに葛藤はあるな…、と。

 

 

それは父に対しても存在しているけれど、母への葛藤とは、質が異なる事も、自覚しているな…、等々。

 


視点を変えて、父や母は、私に対して「葛藤」を感じているのだろうか…。

 


そもそも、親子の間の「信頼関係」は、どうやって成り立つのだろうか…。うーん、色々考えてしまうと難しく。

 


いやいや、そこはシンプルに「親を信じる」「子供を信じる」事が信頼関係なのかな…、と。

 


ただ、私がもし、母と音信不通になるぐらい、母との関係に悩んでいたら。そこには、どんな葛藤があるのだろう、と。

 


母には言えない、あるいは言いたくないと思う事。

 


もっと厳しい言い方をしてしまうならば、会って話をしようとする気持ちがない…、けれど…。

 


心のどこかでは、やはり母の事を思っている。

複雑な感情と共に。…そうした状態なのでしょうか…。

 


うーん、分かるような思いが致します…。

 


家族間で全く交流がなく、関係が遮断されてしまっている場合もありますが…。

 


誰かに対する「葛藤」が起きる時には、本人を取り巻く背景に、何らかの「影響を受ける関係性」があると考える私は、たとえ表面上では関係性がないように見られても、そこに何らかの「影響を受けている心の動き」「影響を及ぼす関係性」があるとも思うのです。

 


つまり、対人関係に於ける「葛藤」が起きるのは、何らかの影響を受ける関係性がある故では、と。

 


同時に、心が影響を受けている事を、本人が自覚しているかどうか(気が付いていない場合もあると思うので…💦)も重要で。

 


影響は、云わば相互作用的に。一方だけが葛藤を感じるような場面は、対人関係においては、中々ないのかもしれないな…、と。

 


(上記はあくまで、個人的な意見ですが…😿💦)

 


これは恐らく、父と子供の関係性にも繋がる部分があるのでは…、とも思ったのですが…。

 


それはそれでまた、事情が異なり。子供が「同性(父と息子)」「異性(父と娘)」でも、変わってきますよね…。

 


エディプス・コンプレックス*1エレクトラ・コンプレックス*2という精神分析の用語があるように、性別でもまた、受ける影響は異なって。

 


根底に宿っているであろう、そうした「複雑な感情」は、感じている本人にしか分からない部分でもあり。

 


言葉で表現しきれない「感情」「葛藤」は、いかに想像力を豊かにして、思いを巡らせる事が出来るかによって、受けとり方も変わる部分が…。

 


様々な葛藤で苦しみ、悩んでいる人だからこそ、辛さを抱えて、言葉にする事が難しい事もある…。

 


誰かの葛藤を考える時、向き合う時には、そうした相手への「想像力」が大切であり、それこそが「思いやり」であるようにも思えるのです。

 


コギト・エルゴ・スム*3。そんな事を考えながら、母にこの話をしましたところ、「まぁまぁ、お茶でも飲みなさい」と。🍵✨

 


という訳で、お茶とお饅頭を食べ飲みしながら、つらつらとブログに書き出した次第でした。

 


ちなみに、私と母のお話が、こちらにもありました…( *゚A゚)

 

私と母と、エトセトラ。😅💧

 

ああ、この記事でも「葛藤」という単語が…。なんだか大体何かしらに悩んでいる事が多いなぁ…。

 

『悩みは尽きないなぁ 人間だもの』…。もう少し上手に記事を書けるようになりたいものです、とほほ。

 

それでは、ここまでお読み頂き、ありがとうございました!💦

*1:精神分析学で、男の子が無意識の内に母親に愛情を持ち、自分と同性である父親に敵意を抱く事で発生する、複雑な感情の事を差します。父親と知らずに父を殺害し、生母と結婚したギリシャ神話のオイディプスにちなんで、フロイトが提唱した用語だそうです。

*2:こちらも精神分析学の用語で、女の子が無意識の内に母親を憎み、父親を慕う事で発生する、複雑な感情の事です。エレクトラギリシャ神話の登場人物ですね…。

*3:ラテン語で『我思う、故に我あり』等と訳されます。哲学者デカルトの述べた有名な言葉で、内容は難しいので、省略致します…😅💧笑